2009年11月23日
大坂
大坂の方は、あたたかかった。電車に乗ったらすいていたので大きなバックを席においた。人が乗ってきたのでバックを足の爪先においたら、それを知った大坂のサラリーマンは、たっててくれた。心斎橋で降りようとした私は、そのサラリーマンに頭をさけで(ありがとうという気持ちをこめて)そうしたらすぐに私が座っていた席に座った。東京都内は、荷物をおおくもっていても空いてる席にすわらないでなぜか私の隣に座ってきたりされた。買い物をしたら優しい言葉をかけてもらった。「ご馳走でした」といったら、「また、よってな。夜中の一時までやってるやさかい。」と言われたので「ありがとうございました」といったら「きいつけてな。」都内は、「ご馳走でした」といったら「ありがとうございました」という返しが定番なのに大坂は、ちがった。おばちゃんに質問したら返しが違っておもしろかった。やっぱり、大坂で暮らしたかった。大坂に親の取り引き会社があったし、養女の申し出が大坂の呉服屋さんからあったから養女にいけばよかった。親も経営者だったし一番可愛がれたから親が許してくれないのがわかっていたから大坂に養女にいきたいと言えなかった。家は、女系で呉服屋さんは、男系だった。呉服屋さんにいけばさらに可愛がってもらえるけど長男が私のことを気にいったから将来が結婚されたり求婚されても怖いと思って(ぶちゃけ、具体的な未来の映像をみせらた。親が離婚することも知っていたし養女になった時の映像も)よって私が幼稚園児の時、父親につよく養女にいきたいと言えなかった。大坂は、私と相性がよく大坂人だと思われた。物価が都内にくらべて安かったしたこ焼き好きなわたしにはたまらなかった。たこせんが好きで心斎橋にあるたこせんが100円でよかった。ほかは、値上がりしていた。たこ焼きも不況なのに値上がりしていてビックリした。
投稿者 ホームメイド 12:17 | コメント(0)| トラックバック(0)
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